富永啓生選手の父・啓之(ひろゆき)さんは211cmという日本人離れたした身長の持ち主。
また、かつては元日本代表のセンターとしてもプレーしたことのある啓之さん。
身長211cmの富永啓之さんの現役時代は一体どんな人物だったのか?また、今現在は引退して以降どういった生活を送っているのかについて詳しくまとめてみました。
目次
富永啓生の父・身長211cmの啓之氏は巨人症と言われるくらいの大きさ
冒頭でも少し触れていますが、富永啓生選手の父親である啓之さんは、身長211cmという日本人離れした体系の持ち主。
富永啓之さんについて調べると、「巨人症」と言われるくらいのデカさです。ちなみに巨人症の特徴を調べると、以下のようになっています。
手足の肥大のほか、眉間・頬骨の突出、鼻や唇、耳たぶの肥大、下顎の出っ張りによる噛み合わせの悪化といった顔つきの変化が特徴的な症状として挙げられる。
引用元:doctors file
上の写真をみると、特にそのような特徴は見受けられないので、啓之さんが巨人症というのは考えられません。
ちなみにですが、啓之さんのもう一人の子供・千尋さんは、父親の身長とはかけ離れていて瞳さんの遺伝子を受け継いでいそうです。富永啓生の妹・千尋は精華女子で苦難を乗り越えた努力人【バスケ】
富永啓生の父・啓之氏の身長211cmは歴代ベスト10入り
富永啓生の父・啓之さんの身長は211cmという日本人離れした身長。この211cmという身長は過去の歴代の日本人選手でもベスト10に入るレベルの身長です。
- 230cm:岡山恭崇
- 216cm:山崎昭史
- 215cm:菅谷徹
- 214cm:濱松久士
- 212cm:武谷歩
- 211cm:富永啓之
そんな富永啓之さん。かつては日本のバスケット界の日本代表としても活躍されていた選手です。
富永啓生選手はシューティングガードですが、父親の富永啓之さんは、その高さを活かしたポジションでセンターとして活躍されていました。
その若かかりし頃の啓之さんはどんな選手だったのでしょうか?
富永啓生の父・身長211cmの啓之さんの現役時代や略歴を次にまとめてみました。
富永啓之の現役時代の若かりし頃の略歴
富永啓之さんの通っていた高校はバスケ界では知らない人はいないでしょう。京都の洛南高校という全国区のバスケット部に所属していました。
昔も全国常連校として名を馳せていましたが、令和になっても健在の強さ。啓之さんが現役バスケ部員の頃の年齢でも洛南高校は、もちろん全国区でした。
かつては常勝軍団と呼ばれ、バスケアニメのスラムダンクの山王高校のモデルになっていると言われる秋田の能代工業とウインターカップや総体でバチバチにやりあっていました。
(ちなみにスラムダンクの洛安高校が洛南高校のモデルと言われています)
富永啓之さんの現役時代の動画がありましたので、載せておきます。
映像が削除されている可能性があるので、画像も載せておきます。
映像をご覧になった方はわかると思いますが、啓之さんは左でシュートをされています。また、富永啓生選手のお母さん(元バスケ選手)も左でシュートをしています!
3ポイントが入る秘訣→富永啓生の3ポイントの成功率や成功数がヤバすぎ!和製カリーと呼ばれる理由がここにある!
両親の影響によって、富永啓生選手は左利きとして育てられたということが考えられそうです。
全国区で活躍する選手を欲しがらない大学はありませんよね。ということで、啓之さんはバスケットの強豪大学に進学する事になります。
富永啓之は大学でもバスケに!【三菱電機でのカッコいい画像】
日本大学に進学することになります。
日本大学進学後は、三菱電機に就職。かつて三菱電機のバスケットは”男子バスケットボール部”という存在でした。
しかし、時代の流れと共に、メルコドルフィンズ〜ダイヤモンドドルフィンズとなり、Bリーグが発足されて以降は聞いたことのある人もいるでしょう。”名古屋ダイヤモンドドルフィンズ”という名前になっています。
三菱電機就職後は、昔のセンターでは考えにくいシュートタッチの良さを活かし、1998年に世界選手権のメンバーに選ばれたりしていました。しかし、2006年当時の年齢でいうと32歳で現役を引退されています。
という感じで、啓之さんの通っていた高校はバスケット界では知らない人はいない強豪校で、かつ全国区の選手として知られる選手でした。
富永啓之がひとみさんと出会ったのは三菱電機
また、啓之さんは三菱電機に就職していますが、奥さんのひとみさん(旧姓:石橋)も同じ三菱電機に就職されていました。
啓之さんとひとみさんが結婚に至った経緯などは明らかになっていませんが、次のような事が考えられます。
- 啓之さんの出身:京都
- ひとみさんの出身:広島
なので、ひとみさんが三菱電機に移籍した事がきっかけで、バスケが共通項という事で交際するようになり、結婚にまで至ったと考えられるでしょう。
また、画像をご覧になって頂くとわかると思いますが、現在では色々な意味で散らかしてますが、ドルフィンズ時代の啓之さんはイケメンです。しかも211cmという身長。
ひとみさんはこの人を逃すわけにはいかないと第六感が働いたのかもしれません。
彼女のハンナさんも第六感が働いたのかもしれませんね!富永啓生の彼女についての記事はこちらから
富永啓之の引退時期はいつ?
富永啓之さんの引退時期ですが、はっきりとした時期は不明です。ただ、バスケ選手の平均引退年齢は30〜40歳です。
なので、富永啓之さんがバスケ選手として引退した時期も30〜40歳辺りという事が考えられます。
また、啓之さんの現役時代の背景から次のようなことが引退の要因になっていると考えられます。
- センターポジション→接触プレーが多く疲労も重なりやすい。また、接触プレーも多いということでケガも重なる
- 現役時代について調べると、センターの外国人プレーヤーの影に隠れていた
こういう背景があり啓之さんは現役を引退したと考えられそうです。ただ、富永啓生選手はネブラスカ大学に行ったりとお金の工面も必要ですよね?
主にコーチとして働くのが一般的ですが、引退後の活動はどうなっているのでしょうかね?
富永啓之の引退後から現在の活動は?
こちらの写真は、三菱電機メカトロニクスエンジニアリング株式会社にいる啓之さんです。
富永啓之さんは2006年に引退をして以降は例にもれず、バスケットのコーチとして活動されていました。
主に、”ディーナゲッツバスケットボールアカデミー”という教室的や”JBC-FIRES”というミニバスでの教室で代表をしていました。
ミニバスでの給料は実際に教えている方は無償だったりします。教室だけで収入を得つづけるというのはかなり難しい話です。
また、上にあるような写真をみてわかるように、三菱電機メカトロニクスエンジニアリング株式会社に富永啓之さんがいます。
富永啓之さんは大学就職後に、三菱電機に就職しています。22歳から長い間三菱電機に所属しています。
一般的に考えれば、会社に所属しながらコーチをしていた可能性は高いでしょうね!
富永啓之の収入や年収はいくら?
富永啓之さんは、大学卒業後から三菱電機に所属されています。また、1973年生まれという事で年齢的にも50歳を超えています。
年齢だけを踏まえて”就活の未来”というサイトで、三菱電機メカトロニクスエンジニアリング株式会社について調べると次のようになっています。
- 50歳〜54歳
- 年収:638.5万円
- 月給:39.7万円
- ボーナス:161.9万円
上のデータは平均的なものとなっています。
富永啓之さんは、あの富永啓生の父親です。広告塔としての活動を踏まえるとサラリーマンとしての給料よりも上だと考えられるでしょう。
なので、平均的な給料と広告塔ということを考えると700万円〜1000万円くらいはある可能性がありますね!
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