日本ハムで活躍する、”サニブラウンに勝った男”と呼ばれ、”消えた天才”とも呼ばれる五十幡亮汰選手。
2022年時点で歴代2位の記録を誇るサニブラウンに勝ち、陸上の短距離選手としての素質もあったのにも関わらず、なぜプロ野球選手となったのか?
五十幡亮汰が消えた天才になった理由は、母親とのある誓いの約束を果たすためでした。母親との約束とは一体何だったのか?
目次
五十幡亮汰が消えた天才と呼ばれる理由
五十幡亮汰が消えた天才と呼ばれる理由!あのサニブラウンに勝った
五十幡亮汰選手は陸上競技と硬式野球の”東京神宮リトルシニア”に所属して、2足のわらじを履いていました。
五十幡亮汰選手が消えた天才と呼ばれる理由は、冒頭でも触れたようにサニブラウン選手に勝った事が1つの理由です。
2013年8月23日、愛知県で開催された『全日本中学校陸上競技選手権大会』の結果は次のようになっています。
また、この『全日本中学校陸上競技選手権大会』では、100mと200mでサニブラウンを2度も破り2冠を達成しています。
そして、この2冠達成時のインタビューで五十幡亮汰選手は、陸上競技について引退を示唆するようなコメントを残しています。
「陸上への未練はありません」
また、五十幡選手にとっての陸上は、野球にとってのプラスαの要素の1つに過ぎなかったようです。
野球のプラスになればという思いで学校の陸上部にも所属
引用元:(株)寺子屋MAC
五十幡亮汰選手には、あの陸上界で10秒台を切った日本人2人目の桐生祥秀さんを生み出した洛南高校など、数十校といった高校からオファーがありました。
しかし、五十幡亮汰選手はそのオファーを蹴って、陸上をやめてしまいます。
なぜ陸上をやめることにしたのか?陸上をやめたのは、母親の惠子さんとの約束を果たすためだったのです。
五十幡亮汰と母親との約束
五十幡亮汰の母親にガンの病気が見つかる
五十幡亮汰くん!
— Tai-chan👔たいちゃん (@NEXTDream11) October 26, 2020
プロ野球選手として
日ハムのスター選手となるようにガンバレ〜😄
応援しています。#五十幡亮汰 #日本ハムファイターズ#ドラフト会議#お母さんありがとう pic.twitter.com/WqmXw7iEUd
五十幡亮汰選手が小学校に上がる時のことでした。母親の惠子さんにガンが見つかってしまいます。
惠子さんは入退院するものの、完治の見込みが低い末期の状態の”腎臓がん”になっていました。
亮汰くんが小学2年生頃に、惠子さんは腎臓の摘出手術をします。しかし、ガンが再発。
そして、6月10日。
6月10日は五十幡さんの1歳上のお姉さん・真奈さんのエレクトーンの発表会の日でした。
五十幡選手と惠子さんは電話越しに真奈さんの演奏を聞いていました。
小さな少年だった亮汰くんは演奏を聞く間に、いつの間にか眠りについていました。
”母親の惠子さんも亮汰くんと同じように眠りにつくように天国へ旅立った”と言われています。
そして、母親の惠子さんが天国へ旅立って3日後。
母親の惠子さんが残した手紙を五十幡選手は見つけました。そして、次のような事が書かれていたのです。
五十幡亮汰の母親の手紙が野球選手への決意を固める
『お母さんは野球をしている亮汰が大好きです。 頑張ってプロ野球選手になってください』
母親の惠子さんは、亮汰くんがプロ野球選手になって欲しいと願っていたのです。
また、惠子さんが生前の時にも五十幡亮汰選手が野球選手になる事を夢見ているような手紙を書いています。
だいすきなりょうたへ
ごはん しっかりたべてますか? なんでもたべないとダメだよ。
いっぱい、食べて おおきくならないと、やきゅうせんしゅになれないよ。
はは、びょうきなおしてくるから、それまで、ちち・まな・じー・ばーのおはなしをよくきいてね。
はは、がんばるから、りょうたもがんばってね。 またね ははより
五十幡亮汰選手に分かるように、”全てひらがなで書かれています”。お母さんの惠子さんの気遣いや優しさがみてとれますね。
しかし、お母さんの惠子さんは、なぜ陸上選手でも活躍できる亮汰くんに野球選手になって欲しいと願っていたのでしょうか?
それは、惠子さんが亮汰くんの野球で頑張っている姿がとても好きだったからなんです。
五十幡の母恵子(けいこ)さんは小学3年生の時に、がんで他界。雅弘さんは「野球する姿を見るのが大好きだった。もっと見たかっただろうな」
引用元:下野新聞
こういう理由で、惠子さんは亮汰くんにはプロ野球選手になって欲しかったんですね。
そして、2020年のプロ野球ドラフト会議で日本ハムから2位指名を受けるという事で、母親との約束を果たすことになります。
母親の恵子さんとの約束を果たした五十幡選手。
五十幡選手は日ハムに指名された後に、次のような事を手紙に書いて母親の惠子さんへ伝えています。
「夢叶ったよ。本当ならこの目で母が喜んでいるところを見たかった。でもいま一番近くで喜んで見てくれていると思います。本当にありがとう。これからも見守っててね」
母親の惠子さんも絶対に喜んでいるでしょうね!
また、悲しい過去を乗り越えて、ここまで来ることができたのは全て家族のおかげと言っています。
「家族のサポートがなければプロ野球選手になれなかった」
五十幡亮汰選手の母親が亡くなった後、家族はどんな風にサポートしてくれていたのでしょうか?
五十幡亮汰の母親が亡くなった後にサポートした家族
母親の惠子さんが亡くなった後は、4人の家族が亮汰さんを支え合っていました。
雅弘(まさひろ)さん
姉の真奈(まな)さん:1つ年齢が上
祖父の圭司(けいじ)さん
祖母の泰巳子(たみこ)さん
母親の惠子さんが亡くなった時の五十幡選手は、まだ小学校3年生です。甘える時は甘えたい年頃ですよね。
そんな五十幡亮汰選手の母親がわりになったのは、おばあちゃんの祖母の泰巳子(たみこ)さんだったようです。
「天国にいるお母さんに、初ヒットが打てたこと、これからも頑張るよと伝えたい。母の代わりになってくれたおばあちゃんにも、感謝の気持ちを伝えたいです」
引用元:アスレシピ
それから、五十幡亮汰選手が母親との約束”プロ野球選手になる”ためには練習をしなければなりませんよね?
五十幡選手は”東京神宮リトルシニア”に通っていましたよね。その送り迎えを父親の雅弘さんがやっていました。
毎週末にある練習の時には片道1時間の距離を送ってくれていたりしました。
また、東京神宮リトルシニアといえどお金がかかります。
入会金:30,000円
月次会費:18,000円
[野球用具購入費用]
チーム指定用具の購入費:60,000円程度
連盟登録料:2,000円/年
選手ワッペン:600円(ユニフォーム装着用)
スポーツ安全保険:1,200円/年
合宿、遠征に伴う費用は都度徴収します。(参考:昨年夏合宿は選手一人当たり40,000円)
参考元:東京神宮リトルシニア公式
諸々の費用込みで、最初の1年間は約12万円です。
姉に真奈さんがいる事を考えると、祖父や祖母からの金銭的な助けもあったかもしれません。
その他に、母親の惠子さんが亡くなった後の生活について、五十幡選手は次のような事を語っています。
「僕中心の生活になってしまったせいで、姉は休みの日でも父と一緒に出掛けること ができなかった。父と姉には大変な迷惑をかけてきました。必ずプロ野球選手になって、 恩返しをしたい気持ちでいっぱいです」
家族の中でも、特に、父と姉には迷惑をかけてきてしまった事がうかがえます。
しかし、五十幡亮汰選手は日ハムのプロ野球選手になった事で、父親や姉は全てが報われたのではないでしょうか?
五十幡選手はヘルニアの手術が無事完了して、7月20日にはファイターズ鎌ケ谷スタジアムで目撃されています。
五十幡選手の復帰はそろそろかもしれません!楽しみに待ちましょう!
五十幡亮汰の復帰はいつ?ツイッター情報で現在の怪我の状況を確認すると練習には参加できる模様