陸上マラソン界の名将として名をはせた小出監督。小出監督の死去、死因は肺炎です。肺炎となってしまった小出監督ですが、これまでの選手が怪我をしても「せっかく」という名言で何度も立ち直らせています。
小出監督の死去関係する情報や、怪我をした選手に伝えていた名言の「せっかく」とは一体何だったのでしょうか?
目次
小出監督の死去(死因)に関するニュース
陸上長距離の指導者として知られ、24日に80歳で死去した小出義雄(こいで・よしお)さんの死因は肺炎だった。家族が同日、明らかにしたもので、午前8時5分に千葉県浦安市の順天堂大浦安病院で亡くなった。葬儀・告別式は29日午前9時から千葉県佐倉市大蛇町790の4のさくら斎場で。喪主は妻啓子(けいこ)さん。
3月下旬に心臓の具合が悪化して倒れ、入院していた。
引用元:https://headlines.yahoo.co.jp/
小出監督が死去したのは2019年4月24日で、3月から心臓が良くなかったということで入院されていました。
訃報が届いた時は驚きましたし、入院するくらい体調も悪かったようです。小出監督の愛弟子のQちゃんこと高橋尚子さんは、本当に悲しまれたことでしょう。
小出監督の怪我をした選手に向けた名言!
小出監督は陸上の指導者でもあり、人間でもあります。時には指導している選手が怪我をすることもあります。
怪我が多かった有森裕子さんに次のような言葉を残しています。
--覚えている監督の言葉は
「私は本当に故障が多かった。その時、『物事には“せっかく”というのがある。物事には意味がないものはない。どんなことが起きても“せっかく”って思え』って言われたことは、監督からの一番の言葉だったと思う。ちゃんと向き合って下さる方だったし、本当に感謝しかない」
引用元:産経新聞
『物事には“せっかく”というのがある。物事には意味がないものはない。どんなことが起きても“せっかく”って思え』
こんなにマイナスになっている人間を助けてくれる言葉はありませんよね…
有森裕子さんは1992年にバルセロナオリンピックで銀メダルを獲得しています。有森裕子さんが活躍できたのも小出監督の人を見る目、個人との向き合い方がズバ抜けてよかったのでしょう。
元ランナーで金メダリストの高橋尚子さんにも次のように語っています。
小出監督の名言!Qちゃんへ
小出監督が高橋尚子選手に向けても色々な名言を放っています。
「他の人と比較するんじゃないよ」
「いつでも自分が今より強くなることだけを考えなさい」
365日「お前マラソンで世界一になるよ!」と本気で言い続けた
また、Qちゃんだけに向けた言葉ではありませんが(有森裕子さんに対しても向けた言葉)、「勧誘した子は強くならなかった。一銭もかけなかったのが強くなっている。要するに志の差」
以上の言葉を伝えていました。
元々、高橋尚子さんの高校時代の成績は、金メダリストになれるようなものではなかったようです。しかし、小出監督は高橋尚子さんの「到底金メダリストになれないという弱い気持ち」を強い志に変えているのです。
小出監督の選手を見る目といいますか、人を変える力が凄いですよね。
小出監督の育成術!15人15様?十人十色?
小出監督がなぜ、多くの有名ランナーを出すことができたのかを知る上で、育成術をみないわけにいきません。
小出監督は次のようなことを語っていました。
ざっくばらんな話し方が、年ごろの女子選手の心もしっかりとつかむ。「女の子ってのはね、言葉には出さないけど心の中では『私をしっかりかわいがってください』とみんな思うわけ。だから平らに見ないといけないんですよ、平らに。これ難しいよね。15人いれば15の性格がある。例えば有森。『コレやれっ』て言うと、ピシッとやり返され、ケンカになりますからね。僕は2段下がって『有森先生、有森先生』って呼んでましたよ。鈴木の場合は友人関係か僕が半歩下がった感じかな。高橋は素直に『コレやれっ』って言うと『ハイハイ』とくる」。指導法は“15人15様”、その掌握術にはかすかなぶれもない。
引用元:日刊スポーツ
小出監督は相手に合わせる、人間の心の洞察・掌握術がずば抜けていたことがわかります。
もしも、仮に小出監督が一本気で怒るだけの監督であったなら、高橋尚子さんは自信喪失して、「できない、できない」と自信喪失していたでしょう。有森裕子さんだったら、ケンカになっていたかもしれません。
本当に偉大な監督だったと思います。
小出監督の死去に世間は?
小出監督、亡くなってしまったんですか‼️私も陸上部のマラソンをやっていたのでとても尊敬していた監督でした。
ご冥福をお祈り致します。高橋尚子さん涙の弔問、死悟った小出氏から感謝電話(日刊スポーツ) – Yahoo!ニュース https://t.co/rpnUy977dL @YahooNewsTopics
— Diamondlover (@Dia47470496Love) April 25, 2019
小出監督は最期にどうしても高橋尚子に会いたかったのだろう。これからの世界の陸上の話をしたかったんだろう。
→ 高橋尚子さん涙の弔問、死悟った小出氏から感謝電話 https://t.co/tuni2gEVU4 @nikkansportsさんから
— smile(シ)スマイル^o^Japan (@mikihiyamada) April 25, 2019
死を悟ってみずから感謝の電話をかけるって、なかなかやりたくてもできることじゃないね。小出監督、素敵な人生だったんだろうな。
高橋尚子さん涙の弔問、死悟った小出氏から感謝電話(日刊スポーツ) https://t.co/0NKlPd8d8F
— こおりおに (@korioni333) April 25, 2019
この本文と写真だけで涙でる…
Qちゃん現役時の笑顔と小出監督の笑顔、世界一を築き上げた関係、そんなことを思い出すと、本当に最高の師弟関係だったんだなあと。高橋尚子さん涙の弔問、死悟った小出氏から感謝電話(日刊スポーツ) – Y!ニュース https://t.co/AbNCTOwfMd
— Bnd(ひろくん) (@h_bnd2) April 25, 2019
小出監督の死去(死因)は肺炎?怪我をしても”せっかく”という名言で選手を鼓舞していた! おわりに
小出監督は亡くなる前に高橋尚子さんに感謝の電話をしていたようです。
小出監督は高橋尚子さんがオリンピックでの初めての金メダリストです!生涯に一度あるかないかです。小出監督は本当に嬉しかったんでしょうね。
誰がどうみても最高の師弟関係であり、最高の監督でした。