履正社が夏の甲子園初優勝を飾っています。その履正社を率いてるのは岡田龍生監督です。
岡田龍生監督は過去に謹慎処分などがあったようですが、謹慎処分後は指導方法が変わったようです。どういった方針に変わったのでしょうか?
また今回は岡田龍生監督の経歴や、母親、息子などについても調べてみました!

履正社が夏の甲子園初優勝!
【履正社 岡田監督33年目の悲願】https://t.co/CoPstjvBtv
甲子園初優勝を果たした履正社の岡田龍生監督。チームを率い33年目での悲願達成に「何とも言えない気持ち。夢のようです」。
— Yahoo!ニュース (@YahooNewsTopics) August 23, 2019
昭和のPL学園、平成の大阪桐蔭と続く大阪代表の系譜に、令和の初代王者として履正社の名前を残した。昨年の大阪桐蔭に続く大阪勢の連覇。大体大浪商、明星、興国、PL学園、大阪桐蔭に続く大阪6校目の夏優勝チームに加わった。
岡田龍生監督(58)は1987年就任でチームを率い33年目での悲願達成。「何とも言えない気持ち。夢のようです。泣くことはないだろうと思ったが、涙が出てしまった」と感無量だった。
引用元:yahooニュース
履正社が夏の甲子園初優勝を決めています!「何とも言えない気持ち。夢のようです。泣くことはないだろうと思ったが、涙が出てしまった」と言っています。
涙が出てしまう気持ちがわかってしまいますよね!
苦節何十年で、履正社をようやく甲子園の頂点に立たせることができたんですからね!こちらも目から水があふれてきてしまいました。決して涙じゃありませんよ!
岡田龍生監督の経歴プロフィールは?
第1試合 #履正社 岡田龍生監督
「先発の岩崎投手が、ここまで投げてくれるとは夢にも思わなかった。相手ピッチャーはレベルが高くどの球種もいいので低めのボール球を振らないようにと作戦を練っていた。決勝は思い切りプレー出来る環境づくりをしてあげたい」 #高校野球 #甲子園 pic.twitter.com/zrKg2pv1Ln— NHK甲子園 (@nhk_koushien) August 20, 2019
名前:岡田龍生(おかだたつお)
生年月日:1961年5月18日生まれ
出身地:大阪府
出身高校:東洋大姫路
出身大学:日本体育大学
岡田龍生監督自身も高校球児でした。東洋大姫路という高校球界では名門と言われる野球部です。しかし、入学する時に次のようなエピソードがあったようです。
最初は東海大相模に進学する予定だったのですが、当時監督をしていた原貢監督が、息子の原辰徳さんの進学を機にやめることが判明!
「高校野球は監督が代わったらダメ」という考えから東洋大姫路に進学を決めたようです。
高校3年生の春に甲子園出場をしたことがあります。岡田龍生監督は甲子園出場時に1番サードでするも準決勝で負けてしまったベスト4でした。夏の大会は、残念ながら県大会の準々決勝で敗れ、甲子園出場とはなりませんでした。
履正社岡田龍生監督の謹慎処分とは?指導方法はどう変わったのか?
ひと:岡田龍生さん=夏の甲子園で初優勝した履正社高監督 https://t.co/zi5V9KJ377
— 毎日新聞ニュース速報 (@mainichijpnews) August 22, 2019
岡田龍生監督は過去に謹慎処分になっていた時期があったみたいです!
情熱が、行きすぎた時期があった。01年6月のミーティングで2年生投手を殴り、謹慎に。指導法を見直す転換期になった。痛みではなく言葉で。相手がわかるまで、話し続けた。
引用元:日刊スポーツ
岡田龍生監督の雰囲気からは感じられませんが、2001年6月のミーティングで2年生の投手を殴ったことが原因で謹慎処分になったようです。
それからは指導方法がガラリと変わって相手がわかるまで話し続けたといいます。
さらには、保護者にも協力を求めたといいます。家族すらもコーチとなってもらうようにして、12月の保護者面談を習慣化し、自宅と学校の日常を交換しあうようにしたようです。
岡田龍生監督の変わりようが素敵すぎませんか?時代の流れとともに指導法を変えていくのは、やりにくいところがあると思います。
でも、指導法を変えて優勝をしたということは、やってきたことが間違いではなかったということの証明になりましたよね!本当に素敵な話です!
履正社岡田龍生監督の母親や息子とは?
甲子園初優勝の履正社監督・岡田龍生さん 「大阪は桐蔭だけじゃない」#履正社 #甲子園初優勝 https://t.co/NwNRACe2B5
— 産経新聞社 広報室 (@sankeikoho) August 23, 2019
履正社岡田龍生監督の息子については判明していませんが、以前息子ではないか?と噂になった人がいました。
岡田龍生投手。
この岡田龍生投手が岡田龍生監督の息子なのでは?と言われていました。しかし、噂になったというだけで他人ということが判明しています。
そして、母親ですが、静子さんというそうです。
初の栄冠を懸けて、星稜との決勝戦に臨む履正社の岡田龍生監督(58)の野球の原点は、元女子プロ野球選手だった母・静子さんとのキャッチボールだった。
引用元:スポニチ
静子さんは元女子プロ野球選手でキャッチボール相手になっていたようです。1950年から約2年間ほど「女子プロ野球」の選手としてプレーしていたそうです。
所属チームなどはわかっていませんが、当時の写真が東京ドーム内の野球殿堂博物館に載っているそうです!
ネットの声
「うちは部員の数だけ(親という)コーチがいるようなもの」岡田 龍生 履正社高野球部監督
— beniazuma (@eigo_no) August 23, 2019
岡田龍生おめでとう㊗️ https://t.co/g5RhmO5gSX
— ゆき (@yukitaru2) August 22, 2019
第101回
全国高校野球選手権大会
決勝戦
履正社高校対
星稜高校は
5-3で履正社高校が勝利し
初優勝
試合後
履正社の岡田龍生監督は
インタビューで
(春の大会で敗戦を経て)
「奥川君に
チームを大きくしてもらったなぁと
ホントに感じてます」
と語りました#高校野球 #甲子園https://t.co/cd9Uq7qIbA— カピタン (@yoshiyukiokuga2) August 22, 2019
https://twitter.com/b_orixan96/status/1164670765565767680
【#履正社高校】
厳しい厳しい岡田監督。
でも優勝旗授与のときの拍手、この仕草、好感度しかありません…#甲子園#履正社#初優勝#岡田監督#岡田龍生#全国高校野球選手権#101回目の夏#決勝#高校野球#夏の高校野球#夏の甲子園 pic.twitter.com/kmRIPyIz8x— YOUTHFUL DAYS (@YOUTHFULDAYS50) August 22, 2019
https://twitter.com/akimaruchaaaan/status/1164514727097065472
https://twitter.com/nekonosuke4649/status/1164497303039664128